今必要なのは認知療法
人生というのは大半が準備や段取りや後始末や修理にかかる時間で食い潰されているような気がする。もしそういった時間を単に価値あるものの付け足しや副産物と思っていると、こんなに楽しくない時間の使い方はないなと思う。太古の昔から人間の活動には副次的な部分が結構あったはずで、獲物を捕るにも道具づくりからやらなきゃいかんし、秋の収穫を見るためには土を耕して遠いところから水を運んで来なきゃ作物は実らない。そういった目的や価値を得るために注ぎ込まれる努力は今とは桁違いに大きかったに違いない。祖先の人たちが、こういった副次的な作業や時間をただの苦役と思っていたら人類はこんなには続いてなかっただろうなと思う。なんだろうこの違いは。昔の人たちは辛抱強かった? 目的とする価値がとてつもなく大きくて、それまでの努力など取るに足りないと思えたから? 生存のためには四の五の言ってられなかった? どれも当たってるようでそうでもないような。しかし現代人の私はやはり苦しい。ハードディスクがこわれたので買い直して、元データが取り出せないために四苦八苦してデータを寄せ集めて8割方復旧できたと思った矢先に、そのパソコンが突然ネットに繋がらなくなった。保証期間だから交換くらいしてくれるだろうけど、また引っ越しかと思った途端、この数週間の努力は何だったのかと気が抜けてしまった。人生はそんなものだろうか。今必要なのは認知療法かもしれない。