2021年6月15日 (火)

今必要なのは認知療法

人生というのは大半が準備や段取りや後始末や修理にかかる時間で食い潰されているような気がする。もしそういった時間を単に価値あるものの付け足しや副産物と思っていると、こんなに楽しくない時間の使い方はないなと思う。太古の昔から人間の活動には副次的な部分が結構あったはずで、獲物を捕るにも道具づくりからやらなきゃいかんし、秋の収穫を見るためには土を耕して遠いところから水を運んで来なきゃ作物は実らない。そういった目的や価値を得るために注ぎ込まれる努力は今とは桁違いに大きかったに違いない。祖先の人たちが、こういった副次的な作業や時間をただの苦役と思っていたら人類はこんなには続いてなかっただろうなと思う。なんだろうこの違いは。昔の人たちは辛抱強かった? 目的とする価値がとてつもなく大きくて、それまでの努力など取るに足りないと思えたから? 生存のためには四の五の言ってられなかった? どれも当たってるようでそうでもないような。しかし現代人の私はやはり苦しい。ハードディスクがこわれたので買い直して、元データが取り出せないために四苦八苦してデータを寄せ集めて8割方復旧できたと思った矢先に、そのパソコンが突然ネットに繋がらなくなった。保証期間だから交換くらいしてくれるだろうけど、また引っ越しかと思った途端、この数週間の努力は何だったのかと気が抜けてしまった。人生はそんなものだろうか。今必要なのは認知療法かもしれない。

2021年2月 6日 (土)

ペルソナとゼーレ

ユング心理学を学んでいる中で、ペルソナとゼーレという概念が出てきた。ペルソナはフェイス、顔、オモテと訳される。ゼーレは、たましい、ソウル、心と訳される。ふと自らの体験を鑑みた時、ゼーレは存在すれどペルソナが確定せずという状態をモラトリアムというのではないのかという気がした。ペルソナは、決して固定的なものではなく、向き合う他者に対して変化しうるもの、あるいは他者がその個体に対して特定のペルソナを提案するものとも思われる。であるからペルソナは一人に一つではない。向き合う他者にたいしていくつものペルソナが必要となる。他者が特定のペルソナを提案すると書いたが、それはあくまで提案するだけで、無理やり作りだしてその人に取りつけるというたぐいのものでもなさそうにも思う。ペルソナの形成過程についてはよくわからない。しかし、ペルソナの形成に失敗するということはありうるのではないだろうか。そうしたときに障害は発生する。

2020年12月11日 (金)

後見人事務報告

師走、12月、大みそか・・なんかやらなきゃいかんことがあったな。そうだ、成年後見人の事務報告書の提出。父親の後見人になっているので裁判所に課せられている義務・・滅私奉公。去年かその前の年か、これの提出を忘れていて、裁判所から督促が来て、何のことかわからず質問したら「後見人をやっている以上、勤めは果たしてもらわないと困る」みたいな一方的な言い方されてブチ切れて、報告書がほしいなら、案内とか手順書とか時期が来ればそういったものを送ってきたらどうなんだ、あんたら裁判所ってのは、下々の人間はみんな従順でアゴで指示すれば粛々と従うもんだと思っとるんか!!と散々担当者を罵り倒した記憶がよみがえる。近頃うるさいマイナンバーがめでたく金融機関と紐づけできたら、不正な資金の流出なんかがあればすぐにバレるので、こういうしちめんどくさい報告などいらなくなるのだろうか? ・・なんて、おぼろげに想像してみるけど、そんなわけないよな。この国の役人が庶民のためになることをするはずもないのは明治維新後の一般常識よね。

2020年11月15日 (日)

社民党が分裂するらしい

かつて新社会党がたもとを分かって出ていき、民主党のときにも離脱した議員やグループが出て、さらに今回はどうなんだろう。これがとどめになるのだろうか。社民党の息の長さは地方組織にある。直属の議員が少なくても、他の政党候補者の支援にはいるような柔軟な運動をやってきた良心の市民運動が背景にある。出ていった人たちがそれぞれの場所で運動を続ける限り、日本社会党の魂は受け継がれるのかもしれないが、これまで一緒にやってきた人たちが、分裂というインシデントを体験した後にお互いに反目して力が結集できなくなるのでは元も子もない。しかしはたで見ていても、それぞれの言い分が理解できるだけに、円満解決が見いだせなかった事態は、もはや人間の限界ではなかろうかと思えて来たりもする。傷ついた人はたくさんいるだろうな。お互いを認めて前向きに・・なんて言っている人に心にも、うすら醒めたやるせなさがあるのかもしれない。しかし歴史は動き続けるわけで、今だけを切り取って答えを出す意味は少ないと思う。全員、一歩下がって全体を俯瞰しよう・・ってことぐらいかな、今いえるのは。

2020年11月11日 (水)

自己開示欲求

FacebookやインスタグラムのようなSNSに投稿するのは、人間の自己開示欲求を満たすためらしい。欲求を充足させるためのしくみをビジネスとして確立された創業者の方々には敬意を払いたい。・・が、対人間を商売のネタにするにははやり精緻さは必要で、広告収入という餌に目がくらんで当初の指針を失うと、ひとひとはまた離散していくのでしょうね。

というわけで最近はFacebookを開くことも少なくなり、ましてや投稿することはほぼ皆無になってしまった。開けているとうるさすぎるし、そこに開示したものが正しい自己の情報なのかどうなのか定かでなくなってくるからというのが目下の理由だろうか。

やはり、誰かの目に触れることを意識する必要もなく、しずかに書斎に開いた帳面に日記をしたためていくというのがいい。自己開示の相手は誰だろう。神様か仏さまか、あるいはいつの日かそれが人目に触れる未来の読者だろうか。自己開示は必要だろうけど、自己呈示は不要なのです。

さあ、またこのブログに戻りましょう。誰の目に留まることもなくても、書くことに意味があるのだから。

2013年2月 3日 (日)

怪我と故障

左足親指骨折に、肩腱板損傷。立て続けの故障だ。骨折は一週間後に手術して完治まで2ヶ月。腱板損傷はこれからリハビリ治療。めどは立っていない。これはなにか予定された試練もような気がする。筋トレを始めて4年、空手に復帰してちょうど一年が経つ。もしかするとまだこれからも故障が続くのかもしれないし、頻度は少なくなるのかもしれないけど、予定さているものならこなさなければ仕方がない。何が起こっても淡々と予定行事をこなすのが職人の仕事だ。
わかっているのは、これからも僕は禅僧のように筋トレをこなしていくし、宗教のように空手は棺桶まで連れていく。だから心配しないでください。故障はイベントなのです。予定された催しなのです。しっかりとそれらも演じて、こなして行くのみなのです。。

2013年1月12日 (土)

王様の耳はロバの耳、

 商売に身が入らない・・なんてことを言うと、いつものことじゃないかと反撃を食らいそうだけど、このところ本当に、商売への気分が浮ついてるような気がする。

 一体どっからこの気分が来るのだろうかとよく考えてみて、やはりフクイチの事故からその後のことのようで、純粋に原発事故の影響と言うだけでなく、それが引き起こした社会環境や政治状況も含まれている。

 フクイチの事故は、これまでおぼろげながらにもわかってはいたけれども、まさかこれほどまでとはと愕然とするほどに、日本社会の脆弱さ、閉塞感、幼稚さ未熟さ、もうどう表現していいかわからないけど、とんでもないデタラメさを露呈してくれた。原発事故そのものの惨状は取り返しのつかない酷いものではあったけど、日本社会がもっと成熟していて賢明さを持っていたなら、それでも乗り越えていけるかもという期待は出来たんだろうけど、現状を見ている限りでは、どこに希望を持っていいのやらというのが正直な感想だ。

 この国は遠からず滅びると思う。おそらく滅びた方がいいんだろうと思う。

 人類はこれまで文明文化の名の下に、自然環境を破壊して、生態系をめちゃくちゃにし続けてきた。人類の繁栄は、すのまま生命環境の改変であり、自らの立地基盤すら破壊し続けるという愚かな行為と表裏一体だったわけだ。そして核というのはその破壊の中でも極めつけに修復不可能なソースだったわけで、いわばあけてはならないパンドラの箱をとうとう開けてしまったということなのだろう。

 言わずもがな今人類に求められているのは、あけてはいけなかった箱は閉めること。それ以外に何があるというのだろう。人類に賢明さが残っているとすれば、それ以外の選択肢をとれようはずがない。

 しかし愚かな為政者達、財力をもった企業主達は、己の欲望の虜になって、これほどの自明の理を認めることが出来ない。そしてさらに愚かな民衆は市民は国民は、これらの為政者の意に背くことを恐れ、従順になり、学習することも研究することも放棄して、言われるがままにパンドラの箱の中に身を沈める。まるでそこが楽園であるかのように錯覚して。

王様の耳はロバの耳、

放射能、みんなで吸えば怖くない。 こんな日本に将来がありますか?

2012年1月26日 (木)

訃報

チェゲが死んじゃった。ユーモアのあるいいやつだったのに。足を悪くしてしばらく田舎に引っ込んでいると聞いていたので、そんな深刻な病気とは思ってもいなかった。それが町の病院に検査にやってきて翌日にいきなり死んでしまったなんて。何があったんだ病院で?
ナイロビの郊外にあるKenyatta Hospital。あそこで亡くなった人を何人も知っている。貧しいナイロビの住人たちは、体を悪くして耐えに耐えてどうしようもなくなってから、急場のお金をかき集めて病院に転がり込む。ところが入院しても治療や投薬のお金が支払えない患者は放置されるらしい。看護婦も医者もそのベッドには回ってこない。その上、病院の医療行為はブラックボックスだ。どんな治療がされるのか、治療の選択肢もまともに提示されない。医療事故は日常茶飯事、でも医者が責任を問われることはほとないと聞く。それなのに人々は何故病院に行くんだろう。病院は施しの場所じゃないのに。
あわれなチェゲ、田舎に帰って安らかに眠って下さい。

2011年10月31日 (月)

霞が関の人たちよ。

霞が関の人たちよ。君らが圧倒的多数の国民の声を無視して進めてきた政策は、取り返しがつかないツケを子孫に残す結果となった。戦後何十年の長きにわたって、金と権力で世論を動かし、一部の利権集団のためだけの政治を続けてきた結果がこれである。祖先から預かった大切な大地、恵みをもたらす海洋を、自分らのエゴと短絡的な思惑でもって、修復不能な破壊を与えた。にもかかわらず、今だ己らの罪を認めず、事実を隠蔽し、その場しのぎの方便で今を切り抜けられると思っているのか。君らの力だけで、壊されたわれわれの大地を元どおりにできるとでも思っているのか。君らにできるのは、所詮、臭いものに蓋を取り付けるぐらいで、間違ったものを正しきにもどす根本的な作業は、君ら自身の自己否定につながるわけでできるわけがない。汚された大地や海洋を元に戻すために、これからの長い年月、罪もない人々の力を借りなければならないのなら、まずは謝罪せよ。己らを解体するくらいの心意気で、自らの責任を明らかにすべきである。すべてはそれからだろう。しかし君らは謝罪しないだろう。70年前に数十万人の犠牲者を出した狂気の戦争を遂行し取り返しのつかない結果を導き出したあとですら、君らは謝罪しなかった。戦勝国の言いなりにトカゲの尻尾切りをしただけで、まるで今度は自分たちが、悪魔から天使の仮面に付け替えただけで本物の天使になったかのような偽善を行なったよね。いつでも君らはそうだ。謝罪しない。責任を認めない。それどころか責任者の顔すら明らかにしない。卑怯者達の巣窟。それが君らのいる霞が関だ。

2009年7月 7日 (火)

マイケルジャクソン

 ここ数日、バンコクの巨大な衣料問屋街をうろうろして過ごしている。相も変わらず、賑やかでごった返した客の人波と、そこらへんから辺り構わずとびかう意味もない会話、笑い声、子供が走り回り、紐を付けない犬コロまでうろうろすろ。いつもと何も変わらない風景なんだけど、しばらく歩いていて、あれっと思った。どの店から流れてくるBGMもマイケルジャクソンだ。マイケルジャクソンが亡くなって、もう1週間ほどになるかと思うけど、これだけ多くのお店からまるで示し合わせたかのように流れてくる彼の音楽は、それがブームに乗っただけかどうかは別にしても、バンコク市民の追悼の意を十分感じさせてくれる。音楽だけじゃない。Tシャツ屋などでは、ショップの最前列のディスプレーは、すべてマイケルジャクソンのどこのプロマイドからコピーしたかわからないプリントTシャツで溢れかえっている。バッグ屋さん、ポスター屋さんしかり。日本にいるときは、それほどマイケル追悼の雰囲気を感じなかったけど、ここではちがう。
 僕は個人的にはマイケルジャクソンが三度のメシより大好きというファンじゃなかったけど、いちばん大きな流行の時に10~20代だったために、自分の歴史における記憶のBGMとして彼の曲のはよく登場していた。とくに記憶というのは、楽しくてはじけているようなときより、なぜかもの悲しくて沈鬱な気分のものほど色濃く残っていて、僕がトラックの運転手で小金を貯めては海外を放浪していた頃、日本に帰ると住む家もなく、トラック会社の寮を借りていたものの、大型の長距離だったので、一週間のほとんどをトラックのキャビンに寝泊まりしていた。遠方のターミナルに荷物を運び込んだあと、まっすぐに横浜まで戻り、とある幹線道路のICを降りたあたりの工業団地の真ん中の空き地に車を止めて、翌朝の荷積みを待って仮眠した。一人でカップ酒を飲んでラヂオをつけると、マイケルジャクソンのスリラーが聞こえてきた。たぶんチューニングはFENだったように思う。あのころの自分が何を考えていたのか、そして今の自分とどういう経路でつながっていうのかがよくわからない。まるで悲しい小説の一場面にいるように、もの悲しいのだけど、結局は人ごとだったような妙な隔絶感をかんじる。
 マイケルジャクソンと僕は年が3つしかかわらない。彼が流し続けた音楽は僕の耳に届いて、その背景のカラーにとけ込んだ。同時代を生きるというのはこういうことだと、真摯に思う。彼がもう少し長生きしてくれていたら、その背景色のレパートリーももう少し増えたに違いない。でも死んでしまった。過去の人となる。するともう同時代の人ではないのかもしれない。これは悲しいことだ。
 昔はあまりこんなことは思わなかったけど、良きにつけ悪しきにつけ、ともに同じ時代を生きているということには、なにがしかの感謝の念を感じたりする。博愛的見地からいえば、共生共有の喜びであり、利己的にいっても自分への関与に対する感謝の気持ちとなるのだろうか。・・しばらくマイケルジャクソンに浸りそうだな。

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