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2008年11月10日 (月)

身体能力

 最近、身体能力というものに興味を持っている。いつものような一時的興味で、そのうち熱も冷めてしまうのかもしれないけれど、これは今まであまり感じなかったほどに楽しいので、すぐに飽きないように、じわじわと楽しんでいる。

 実は、ジョギングならかなり以前からやっている。走ることがあまりない人にとっては、なんでジョギングなんかするの?と素朴な疑問を持たれるのだけど、走ろうと思う直前は、いつもけっこう億劫だし、膝が痛くはならないか、お腹を下したりはしてないかと、なにか中止にする理由を探していたりもするのだけど、走り出してしばらくすると、さっきまでの自分とまるで脳みそが入れ替わってしまったように、走っている状況を楽しんでいたりする。走ることへの動機付けとして、日頃鬱屈して停滞してしまっている血流を勢いよく流して、体の悪いものを溶かしだしてしまう試みと位置づけたりしているのだけど、これはほぼ正しいのではないかと思う。数日に一回、ぜいぜいと息が切れるまで走り込んでは、淀んだ血液なり、鬱屈した感情、停滞した運気なりを追い出してしまおうという試み。このあたりが目的だから、あまり身体能力のことなどを考えることはなかった。スピードや時間なんて気にもしなかったし、誰かと競争するなんていうのもむしろイヤな方だった。 それがこのところ、タイムを気にするようになってきた。比較はやはり他人との競争ではなくて、自己記録との比較なんだけど、すこしでも更新すると嬉しく思う。

 身体能力は、使わないとどんどん衰える。虎やライオンならいざ知らず、人間の場合、ほぼそうでないかと思う。若い頃にスポーツマンで見事な体格を誇っていた御仁が、無為無策のまま中年を迎え、ものの見事に変わり果ててしまっている様を何度も見せてもらった。これが同じ人間なのかと思うほどの変わりようで、昔の栄光を脳裏に納めているこちらとしては、気の毒というか腹立つというか、何とも言えない気分におそわれる。でも老化すること自体が悪いこととは思わない。人間体力は落ちるし、いつかはほどよく死を迎える。ただだからといって、その時々をないがしろに過ごしていいという法はないと思う。自分に対する怠慢は、逆方向の自分以外のすべてのものへの冒とくではないかと漠然と感じる。自分を疎かにすることは他人や外界すべてに対しても疎かにすることに通じているのではないか・・(だからどうなの?と問われると、返す言葉がないんだけど)

 自分の両親がけっこうな高齢になってきて、ときどき顔を見に行っては、散歩をするようにとか、食べ過ぎには注意するようにとか、今まで言いもしなかったようなことをよく本人たちを前にするようになってきて、たぶんこれは、自分の身内が年齢以上に老け込んでいく様を目の当たりにしたくはない僕の身勝手からの苦言なんだろうと気が付いてはいるんだけど、血圧が高くて、膝も悪い、うちの中に一日中こもりっぱなしの父親を見ていると、いたたまれなくなって説教をしてしまう。そして説教をしてから言わなきゃよかったとすぐに後悔する。この繰り返し。

 自分がどのように老いていくか、これはそれぞれ個人の問題なんだろう。立ち入るべきではない高尚な聖域。でも、他人の上手な老い方をする人を見て、惚れ惚れとすることはよくある。こうありたいと思う。単に美意識の問題なのかもしれない。先日、75歳でエベレストの登頂を成功させた三浦雄一郎さんの写真が、サントリーの一面広告とともにでかでかと載っていて、とても感動してしまって、その新聞の一面記事を切り取って保管することにした。時々それを取り出して眺めては、人それぞれのいきることの重さに思いを馳せてみたりする。75歳でエベレストに登ろうと思えるかどうか・・そこなんだと思う。

 自分の周りのいろんなものを見てきて、結局なんだか考えもまとまらないまま、最後に自分自身の今の状況を考える。いずれにせよ、そのときのベストの状態でやっていたいものだと単純にそう思う。そうでなければ、自分に対してフェアじゃなくなる。フェアじゃなければ、自分がわからなくなる。逆に言えば、フェアにやっていて身体能力にしっかり向き合うと、内なる自分が聞こえてくる。若い頃は、ダッシュで何回も走り込みが出来たけど、今はぜいぜい2~3回でグロッキーになる。ぜいぜいという呼吸の向こうに、今の自分の限界が見える。でもこの限界は明日に向かって、後退していくかもしれない。日々それは変化する。そして自分の精神状況は、この身体能力に大きく左右されつつある。山に登れなくなる時、走れなくなる時、自分が何を考えるか、これもまた興味の尽きないところなのだ。でも、それは日々限界の中で答えを出していくのが正しいやり方だろうと思う。

・・なにしろ、おもしろいのは、1ヶ月前まで懸垂なんて一回も出来なかったのが、今はかろうじて10回出来るようになる。そうするとそういう自分のものの考え方までどことなく変わってくる。こんなおもしろい話はない。

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