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2009年1月 4日 (日)

イスラエルの空爆を糾弾す

 あけましておめでとうございます。

 年末からイスラエルのガザ空爆のニュースを聞きながら、イスラエルという国はいったいいつまで泥沼の殺人劇を繰り返していくつもりなのか、本気で自分たちの(ユダヤ)安住の地を確保しようという気があるのだろうかと、さっぱりわけがわからない気持ちにさせられるとともに、この年の瀬に家族や仲間を殺された人々の気持ちになると、やるせなくて悲しくて、イスラエルの為政者どものタチの悪さに、それにそれを支援するアメリカの権力者達に懲りない悪辣ぶりにほんとうに怒りを抑えきれない思いで正月を過ごしていた。

 世の中には統治する人間と、統治される人間しかいないのかもしれないけど、統治される人間は自分たちが統治されているということがわからないくらいに統治されていれば文句を言わないわけで、それを武力や暴力をあからさまに振りかざして、為政者たちは自分達の欲望を実現しようとする。何百年も昔の植民地主義の時代、武力でどんどん他国の領土を奪い合っていた時代と根本的に何も変わっていないではないかと唖然とさせられる。権力を持った連中は、一体どこまで自分たちのエゴをむき出しにすれば気が済むのだろう。さらに自分たちが引き起こした凄惨な結果には、テロとの闘いだの民主主義の移植だのわけのわからない美辞麗句を塗りたくって、あたかも避けて通れなかった犠牲であるかのようなウソ張ったりをぶち揚げる。嘘つきどもよ、すべては金・利権・資源、そういうもののためじゃないか。はっきりそう言ったらどうなんだ。中東にはアメリカの番犬のようなイスラエルがいないと困ると、産業維持のために油を安定して確保するために、中東をしっかりコントロールしたいんだと。だからアメリカに反発するアラブの過激派はじゃまなんだと。過激派が丸め込んでいる地元住民の命なんて、自分達の利権のためには紙くずほどにも思っていないと。

 まあ確かにイヤな世の中だとは思う。

 こうした金と欲にまみれた戦争の中でいつも犠牲になるのは、金も持たず力もない庶民ばかり。僕たちが関わるハンディクラフトの世界は、何故かいつでもこういった最底辺の人々が主人公なわけで、戦争の影には常に僕らの友人達の悲鳴や嘆きの声が聞こえてくる。アフリカでも、内容は違ってもこのような愚劣な為政者の下で悲惨な暮らしを余儀なくされているところが山のようにある。彼らは戦争で真っ先に生活を奪われ殺されていく、また真っ先におなじような底辺の人間達を殺しに行く尖兵にもさせられるのだ。誰のために? 決してかれらの自由のためではない、けっして彼らの正義や独立のためではない、誰か自分とは生活をともにしない一部の利権者達のためなんだ。

 えーい、いいかげんにしてくれ。われわれはもっと賢明でかつ強くならなくてはいけない。われわれはあらゆる利権にまみれたものを拒否する権利がある。

・・と、ぼくは針金にくるくるとバナナの葉を巻き付けてつくったバナナ動物を机の上に並べて眺めてみながら考える。いつ見ても愛くるしくて、最初にこれを作った人の感情の豊かさに惚れ惚れとする思いがする。ハンディクラフトの世界には、殺し合いもなければ利権争いもない。ささやかなモノに対する限りない愛情と、人間や動物、自然、宇宙が秩序正しく織り込まれた小世界を通して、万物に対する感謝の念がほとばしり出るのを感じる。

 僕はハンディクラフトの世界に足を突っこんでいる状況の幸せを感じつつも、ともすれば地滑り的に自分たちの生活もこの利権者達の争いの中にしっかりと組み込まれているのを見極めて、絡め取られた自分の足先を切り取る痛みにも耐える覚悟をしなくてはいけないと思う。 僕らは決して戦争に荷担しないし、そういうものを内包する世の中の仕組みをも支持しない。それだけははっきりしておこうと思う。

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