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2009年3月 7日 (土)

子供達と格差社会

 早いもので自分の子供がもう高校に行くような年齢になってきたのですが、このくらいになると何をするにもお金がかかってきて、本人の希望と実際に親としてしてやれることに、かなりギャップが出てくることに親子ともどもウンザリとしてきているこの頃です。自分が高校生になった頃は、学区制がきっちり決まっていたので、よっぽど落ちこぼれていない限りは、高校受験のことなんか真剣にならなくても、近所の公立高校にすんなり入れたのですが、最近は違うのですね。みんなが好き勝手にどの高校でも受けられるものだから、高校間の偏差値格差がどんどんひろがって、行きたい学校と、行ける学校の照準合わせにみんな血眼になっているのです。出来る子は出来る子ばかり集まった学校に入りたがり、そうでない子はほとんどボンクラばっかりの寄せ集め状態になってしまいます。競争社会、格差社会はもうしっかりこの子らの世代あたりから(実際にはもっと前の中学校・小学校あたりから)始まっているわけです。

 学校間の格差は、子供の学力のためのこそあれ、出来る子供はどんどんその実力を伸ばしてあげて、日本に優秀な人材を育てるべきだとおっしゃる方は多くいます。しかし、この学校間の格差というのは、その年頃の子供をもつわれわれの世代にとってみると、即、生活格差、経済格差に直結しているのを感じます。どうしても公立高校に行ってもらいたいというのも、私立高校に行かせてやれるだけの経済力が自分にないことが最大の理由だろうし、その公立高校の中でも優秀な子供が集まる偏差値の高い学校に入れたければ、小さい時から相当な努力をしなくてはなりません。もちろん小学校、中学校の規定の授業だけではそのレベルには到達しないので、高いお金を払って塾に行かせます。そしてこの塾にも格差があります。授業の密度が濃くて、受験訓練のスキルをたくさん持った塾は高い授業料を払わなければ入れてもらえませんが、学校のおさらい程度の塾は比較的格安で通うことが出来ます。要はすべて、どういう方針で子供を育てていくかということなんですが、いや顔でもこれから格差社会に放り込まれていく子供のことを思うと、たとえその課程で落ちこぼれていくようなことがあっても、その競争の中で戦う実感だけは本人に植え付けておいてやらなければと思ったりします。すべてドロップアウトして、独自の道を行くというのは頼もしくてカッコイイような気もするけど、何もかもなくした時にどれだけ苦労するかを考えると、手放しでそういう方針を応援することも出来ません。

 結局は貧困にさいなまれながら同時に格差競争社会の扉を開けてしまっている自分たちがいるだけなのかもしれません。これからどこに行くかもわかっていないのに開いた扉は、背中の後で閉じてしまいます。目の前は、薄暗い闇がどこまでも続いているだけ。恐ろしい話です。子供達に対して、よいことをしているのか悪いことをしているのか、それはまもなくわかると思います。わかった時は手遅れかもしれないけど・・

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