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2009年7月 7日 (火)

マイケルジャクソン

 ここ数日、バンコクの巨大な衣料問屋街をうろうろして過ごしている。相も変わらず、賑やかでごった返した客の人波と、そこらへんから辺り構わずとびかう意味もない会話、笑い声、子供が走り回り、紐を付けない犬コロまでうろうろすろ。いつもと何も変わらない風景なんだけど、しばらく歩いていて、あれっと思った。どの店から流れてくるBGMもマイケルジャクソンだ。マイケルジャクソンが亡くなって、もう1週間ほどになるかと思うけど、これだけ多くのお店からまるで示し合わせたかのように流れてくる彼の音楽は、それがブームに乗っただけかどうかは別にしても、バンコク市民の追悼の意を十分感じさせてくれる。音楽だけじゃない。Tシャツ屋などでは、ショップの最前列のディスプレーは、すべてマイケルジャクソンのどこのプロマイドからコピーしたかわからないプリントTシャツで溢れかえっている。バッグ屋さん、ポスター屋さんしかり。日本にいるときは、それほどマイケル追悼の雰囲気を感じなかったけど、ここではちがう。
 僕は個人的にはマイケルジャクソンが三度のメシより大好きというファンじゃなかったけど、いちばん大きな流行の時に10~20代だったために、自分の歴史における記憶のBGMとして彼の曲のはよく登場していた。とくに記憶というのは、楽しくてはじけているようなときより、なぜかもの悲しくて沈鬱な気分のものほど色濃く残っていて、僕がトラックの運転手で小金を貯めては海外を放浪していた頃、日本に帰ると住む家もなく、トラック会社の寮を借りていたものの、大型の長距離だったので、一週間のほとんどをトラックのキャビンに寝泊まりしていた。遠方のターミナルに荷物を運び込んだあと、まっすぐに横浜まで戻り、とある幹線道路のICを降りたあたりの工業団地の真ん中の空き地に車を止めて、翌朝の荷積みを待って仮眠した。一人でカップ酒を飲んでラヂオをつけると、マイケルジャクソンのスリラーが聞こえてきた。たぶんチューニングはFENだったように思う。あのころの自分が何を考えていたのか、そして今の自分とどういう経路でつながっていうのかがよくわからない。まるで悲しい小説の一場面にいるように、もの悲しいのだけど、結局は人ごとだったような妙な隔絶感をかんじる。
 マイケルジャクソンと僕は年が3つしかかわらない。彼が流し続けた音楽は僕の耳に届いて、その背景のカラーにとけ込んだ。同時代を生きるというのはこういうことだと、真摯に思う。彼がもう少し長生きしてくれていたら、その背景色のレパートリーももう少し増えたに違いない。でも死んでしまった。過去の人となる。するともう同時代の人ではないのかもしれない。これは悲しいことだ。
 昔はあまりこんなことは思わなかったけど、良きにつけ悪しきにつけ、ともに同じ時代を生きているということには、なにがしかの感謝の念を感じたりする。博愛的見地からいえば、共生共有の喜びであり、利己的にいっても自分への関与に対する感謝の気持ちとなるのだろうか。・・しばらくマイケルジャクソンに浸りそうだな。

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