経済・政治・国際

2013年1月12日 (土)

王様の耳はロバの耳、

 商売に身が入らない・・なんてことを言うと、いつものことじゃないかと反撃を食らいそうだけど、このところ本当に、商売への気分が浮ついてるような気がする。

 一体どっからこの気分が来るのだろうかとよく考えてみて、やはりフクイチの事故からその後のことのようで、純粋に原発事故の影響と言うだけでなく、それが引き起こした社会環境や政治状況も含まれている。

 フクイチの事故は、これまでおぼろげながらにもわかってはいたけれども、まさかこれほどまでとはと愕然とするほどに、日本社会の脆弱さ、閉塞感、幼稚さ未熟さ、もうどう表現していいかわからないけど、とんでもないデタラメさを露呈してくれた。原発事故そのものの惨状は取り返しのつかない酷いものではあったけど、日本社会がもっと成熟していて賢明さを持っていたなら、それでも乗り越えていけるかもという期待は出来たんだろうけど、現状を見ている限りでは、どこに希望を持っていいのやらというのが正直な感想だ。

 この国は遠からず滅びると思う。おそらく滅びた方がいいんだろうと思う。

 人類はこれまで文明文化の名の下に、自然環境を破壊して、生態系をめちゃくちゃにし続けてきた。人類の繁栄は、すのまま生命環境の改変であり、自らの立地基盤すら破壊し続けるという愚かな行為と表裏一体だったわけだ。そして核というのはその破壊の中でも極めつけに修復不可能なソースだったわけで、いわばあけてはならないパンドラの箱をとうとう開けてしまったということなのだろう。

 言わずもがな今人類に求められているのは、あけてはいけなかった箱は閉めること。それ以外に何があるというのだろう。人類に賢明さが残っているとすれば、それ以外の選択肢をとれようはずがない。

 しかし愚かな為政者達、財力をもった企業主達は、己の欲望の虜になって、これほどの自明の理を認めることが出来ない。そしてさらに愚かな民衆は市民は国民は、これらの為政者の意に背くことを恐れ、従順になり、学習することも研究することも放棄して、言われるがままにパンドラの箱の中に身を沈める。まるでそこが楽園であるかのように錯覚して。

王様の耳はロバの耳、

放射能、みんなで吸えば怖くない。 こんな日本に将来がありますか?

2009年1月 4日 (日)

イスラエルの空爆を糾弾す

 あけましておめでとうございます。

 年末からイスラエルのガザ空爆のニュースを聞きながら、イスラエルという国はいったいいつまで泥沼の殺人劇を繰り返していくつもりなのか、本気で自分たちの(ユダヤ)安住の地を確保しようという気があるのだろうかと、さっぱりわけがわからない気持ちにさせられるとともに、この年の瀬に家族や仲間を殺された人々の気持ちになると、やるせなくて悲しくて、イスラエルの為政者どものタチの悪さに、それにそれを支援するアメリカの権力者達に懲りない悪辣ぶりにほんとうに怒りを抑えきれない思いで正月を過ごしていた。

 世の中には統治する人間と、統治される人間しかいないのかもしれないけど、統治される人間は自分たちが統治されているということがわからないくらいに統治されていれば文句を言わないわけで、それを武力や暴力をあからさまに振りかざして、為政者たちは自分達の欲望を実現しようとする。何百年も昔の植民地主義の時代、武力でどんどん他国の領土を奪い合っていた時代と根本的に何も変わっていないではないかと唖然とさせられる。権力を持った連中は、一体どこまで自分たちのエゴをむき出しにすれば気が済むのだろう。さらに自分たちが引き起こした凄惨な結果には、テロとの闘いだの民主主義の移植だのわけのわからない美辞麗句を塗りたくって、あたかも避けて通れなかった犠牲であるかのようなウソ張ったりをぶち揚げる。嘘つきどもよ、すべては金・利権・資源、そういうもののためじゃないか。はっきりそう言ったらどうなんだ。中東にはアメリカの番犬のようなイスラエルがいないと困ると、産業維持のために油を安定して確保するために、中東をしっかりコントロールしたいんだと。だからアメリカに反発するアラブの過激派はじゃまなんだと。過激派が丸め込んでいる地元住民の命なんて、自分達の利権のためには紙くずほどにも思っていないと。

 まあ確かにイヤな世の中だとは思う。

 こうした金と欲にまみれた戦争の中でいつも犠牲になるのは、金も持たず力もない庶民ばかり。僕たちが関わるハンディクラフトの世界は、何故かいつでもこういった最底辺の人々が主人公なわけで、戦争の影には常に僕らの友人達の悲鳴や嘆きの声が聞こえてくる。アフリカでも、内容は違ってもこのような愚劣な為政者の下で悲惨な暮らしを余儀なくされているところが山のようにある。彼らは戦争で真っ先に生活を奪われ殺されていく、また真っ先におなじような底辺の人間達を殺しに行く尖兵にもさせられるのだ。誰のために? 決してかれらの自由のためではない、けっして彼らの正義や独立のためではない、誰か自分とは生活をともにしない一部の利権者達のためなんだ。

 えーい、いいかげんにしてくれ。われわれはもっと賢明でかつ強くならなくてはいけない。われわれはあらゆる利権にまみれたものを拒否する権利がある。

・・と、ぼくは針金にくるくるとバナナの葉を巻き付けてつくったバナナ動物を机の上に並べて眺めてみながら考える。いつ見ても愛くるしくて、最初にこれを作った人の感情の豊かさに惚れ惚れとする思いがする。ハンディクラフトの世界には、殺し合いもなければ利権争いもない。ささやかなモノに対する限りない愛情と、人間や動物、自然、宇宙が秩序正しく織り込まれた小世界を通して、万物に対する感謝の念がほとばしり出るのを感じる。

 僕はハンディクラフトの世界に足を突っこんでいる状況の幸せを感じつつも、ともすれば地滑り的に自分たちの生活もこの利権者達の争いの中にしっかりと組み込まれているのを見極めて、絡め取られた自分の足先を切り取る痛みにも耐える覚悟をしなくてはいけないと思う。 僕らは決して戦争に荷担しないし、そういうものを内包する世の中の仕組みをも支持しない。それだけははっきりしておこうと思う。

2008年7月17日 (木)

政権交代

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 今日の朝日ニュースの配信を見て、なんだか心が躍ってしまった。「郵政票、野党に全力」 小泉にかつて蹴散らされた勢力が挽回を計るわけだ。僕は郵政民営化には断じて反対だけど、その一方で旧局長会が昔のように幅をきかすのもどうかとは思う。ただそうは言っても、反自民ということで、あれだけの大勢力が野党にまわるというのは、官僚政治の温床たる自民党政権に退場してもらうシナリオ作りとしてはまことに喜ばしいことだと思う。
自民党政権が覆った時、民主党がそれに取って代わるのではなく、願わくば野党の合同政権でしばらくはやってもらいたい。そして、官僚主導の今の政治をすこしでも、市民主体の本当の民主政治に移行させていって欲しい。世間交代が実現すれば、いつまでも頼りない野党ではすまないし、お上にまかせっきりでとんでもないところまで流されたことにようやく気づいた国民一人一人が、しっかりとした自覚を持って新政権を支えていく努力をしなくてはいけない。利権が利権に取って代わるだけでは何の為の政権交代かわからないのだ。

なーんてことを考えながらわくわくしている僕は、あいかわらずアフリカの地べたを這いつくばって仕事をしている。。昨日も今日も、ケニアのバッグメーカーの工房にはり付きながら、来春試作品をあーでもないこーでもないといいながら作っているのです。

そういえば、今日の工房の雑談で、ケニアの大統領キバキと、新首相ライラは仲良く手を携えて、同じ飛行機でイギリスに外遊とか。半年前の血で血を洗う部族抗争はいったい何だったのかと、ここの国民の一人はそうつぶやいておりました。