アフリカ

2008年12月25日 (木)

アフリカに心を寄せて

 アフリカを行ったり来たりするようになって、もう20年近くなる。多くのアフリカ好きの人たちと同じように、初めてのアフリカで身動きが出来なるほどの衝撃を受けてそこに立ちつくしているうちに、気が付いたらもうこんなに時間が過ぎていた。正直な感じがそんなところかな。今でもそうたいした人生を歩いているようには思わないけど、これでもしアフリカがなかったら、かなりつまらないことになっていたんじゃないかって気がしないでもない。いや、多感な若い頃はつねに何かを求めていたから、別のものに出会っていて結構今とは違う楽しい毎日だったかもしれない。わからない。

 先日、ミクシィの日記の中で、僕が初めてアフリカを訪れたときの年頃と同じ年代の人が「自分にとってのアフリカ」みたいなことを書いているのを目にした。状況分析が正確だし、アフリカとどう関わって行くかについて本当に真剣に何かを求めようとしている姿勢が感じられて、とても好ましいものがあった。その日記に何かコメントを残そうかと思ったんだけど、こんなに真面目に考えている人を前にして、適当な言葉で濁すのは良くないと思ってその場を離れた。

 少し前、ナイロビの工房に長逗留している時に、あるアフリカ人のシスターがお土産を選びにその工房に何度か来るので、ちょっと仲良くなってしまっていろんな話をした。その人はケニア人ではなく、コンゴ出身で中央アフリカ-スーダンの国境付近の難民キャンプで働いているんだとか。毎日何人もの難民がスーダンをのがれてやってくるんだけど、受け入れ地は満杯で、衛生状況は悪く、将来、彼らが祖国に帰れるのかどうか、あるいは難民受け入れ先で生活が保障されるのか何の展望も見えていないらしい。
 僕はよくあるアフリカ難民の先の見えない不幸な話だと思いながら、悲しい気分で聞いていたんだけど、彼女の話はどんどん長くなって、スーダンにしろコンゴにしろ、国民の生活のことなんて何も顧みない為政者たちの私利私欲にまみれた権力争いがどんなひどい結果をもたらすかを、まるでテレビのインタビューでも受けているように懇々と説明しつくして、この不幸を見てみないふりをする欧米各国の指導者の責任を朗々とあげつらっていく。
「あの国境の線さえなければ!」って何度、彼女は自分の膝を叩きながらわめいたか。ふと見ると彼女は泣いている。そこにいた僕も、工房の職人たちも、もう合いの手を挟むことも出来なくなってしまって、彼女が絞り出すように訴える話を神妙な気分で聞き入るしかできなかった。
 シスターというのはキリスト教の聖職者なんだろうけど、これだけ熱く困難に立ち向かっていけるエネルギーというのは何なのだろうと、僕たち一商人たちは、ほんとうに神々しいものを仰ぎ見るような気分にさせされるのだった。

 僕は今、アフリカの友人たちと一緒に商売をさせてもらっている。20年ほど前に、自分がどうアフリカと関われるかと考えた大それた課題とは何の関係もなく、ただ当たり前のようにアフリカの友人たちと仕事をする。想像力を鋭敏にすれば自分たちの仕事の向こうにかなり多くのアフリカの人々の生活があったり、携わる人々の手の感触や、肌のぬくもり、喜びや悲しみを感じ取ることもあったりする。でも、ふと我にかえるときは、日本のマーケットへの売り込みのほうに意識が移り、経済活動を維持するための損益のことや、会社組織の安定のことに思いをはせている自分がいる。利益によってしか動けない冷たい商人。まさにそれこそが自分の核心だと思う。

 ミクシィの友人の日記を読んで、あのシスターのことを思い出した。そしてアフリカに恩恵ばかりを受けながら、何もお返しをしていない哀れな自分の姿を思い浮かべては悲しい気分になってしまったのだ。いつか彼のようにピュアな気持ちで、アフリカに恩返しがしたいものだと思う。いつかあのシスターのように、見返りを求めず、大好きなアフリカの友人たちのために自分を捧げてみたいものだと思う。そのためには、やっぱり今を地道に頑張るしかないか・・ という結論にいたる。そしてシスターと、ミクシィの友人の今後の健闘を心から祈ります。

2008年7月29日 (火)

沈没

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 ただの風邪かマラリアか? どっちでもいいけど、えらい熱が出てきて伏せっている。旅先で病気になって、援護者もなく薬もわずかしかない。淋しい話だ。先週まで、分単位で追っかけ仕事をしていたのに、終了した途端、大熱でダウン。外の喧噪がずいぶん遠くに聞こえ、仕事仲間からの電話もない。重い頭を抱えて、外に目をこらすけど、気のせいか雲がたれ込めたようにどんよりして見える。僕は何でこんなところにいるのだろう。ナイロビの町は、今日も天気が悪くて寒々としている。
 

2008年2月26日 (火)

デジャブ

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 こうしてしばらく日本を離れていると、食べ物の貧しさや、ホテル暮らしの不便にも慣れてくるものですが、あまりに慣れきってくると、逆に日本にいた時の自分はどうしていたかがよくわからなくなって、妙な気分になることがあります。妻や子供があって、帰るべきうちがあり、自分の仕事と職場があって・・という当たり前な感覚がどんど薄れていくような・・ そして目の前のこの風景や日常が実は最初からあったんじゃなかったけ? とか
 今日も、遅れているバスケットの仕事をチェックしつつもただ待っているだけでは退屈なので、自分もボタンを縫いつけたり、布に紐を通したりして作業を手伝っていると、なんだか何十年も前からここでこうして作業をしていたような感覚に陥ってしまって、とても変な気分になってしまいました。デジャブというのではないのでしょうが、人間の感覚なんていい加減なものだと思ってしまいます。

 そうこう言いつつ、あと3日でここの仕事も終了です。バスケットは第一弾と第二弾にわけたので、とりあえず第一弾を空港に持ち込んだら、今回のケニアの仕事はおしまいになります。最後の最後まで、ケニア暴動の情報に怯えながらの仕事で、いまだ、ここの政治家たちは事態の収拾に手間取って、さらに国民を巻き込んだ暴動を画策している部分もあるそうですが、「オレたちゃ、食っていかなきゃいけないだよ。いつまでもこんなゴタゴタにつきあっていられるかい」っていう、ローカルな人々の声がそこかしこで聞こえます。もうこれ以上、ひどいことにはならないんじゃないかと予想しつつ、僕もまた自分の本拠地に帰る心準備をしなくてはいけません。